経済学がどうにもうっとおしいので偏見を整理してみる

不幸にして検索で来られた方に:これは経済学を専門としない市井の好事家による未完成の調査ノートにすぎません。現時点で大量の誤りを含んでいるため、基本的な用語の定義等については然るべき経済学辞典の類を、学説については教科書を学ばれるようお勧めする次第です。

前口上

経済学はどうにもうっとおしい。

自分は哲学崩れの元社会学徒で、お隣の偉そうな分野の存在感と権威にいつも脅威を感じてきた。いろいろな本を眺めてわかったのは、世の中には数理経済学というのがあって、これはコント以来の理論社会学同様、理系の落ちこぼれを惹きつける学問らしく、また恣意的な前提をうまく難読化した上で結論を強要するのにうってつけの道具でもあるらしいことだ。ちなみに自分は数学も全くできない。

政治経済学的、思想史的な経済学史の説明は沢山あり、そこではスミスとマルクスハイエクケインズフリードマンとルーカスがでかい顔をしている。またモラル・サイエンスの文脈で、コンドルセとスミスとミルとベンサムとエッジワースとマーシャルとピグーとアローとセンを主役に据えた系譜を描くこともできそうに思う。

自分が書こうとしているものはこれらとは随分違うものであり、彼らの出番はほとんどないと予想している。これは彼らの重要度を甘く見ているわけではなく、彼らの問題意識が数理経済学の手法の中でどのように解釈されるかを手法自体の性質から内在的に説明したいからである(ただし現状で書いてある部分は背景的な思想史のメモに留まっている)。

この観点から重要なのは、マルサス、ケネー、クールノー、チューネン、リカードワルラス、ヴィクセル、カッセル、フィッシャー、コブ、ダグラス、レオンチェフ、ラムゼイ、ノイマン、ヒックス、ドゥブリュー、ワルド、サミュエルソンクラウワー、クライン、トービン、プレスコットエヴァンズ、らである。彼らの大半は経済学史の主役ではない。主役級の大学者が提起した問題を解くためや、国民経済を運営したり経済予測を発表するため、あるいは数理経済学自体の可能性の調査のために、経済学の概念や統計数値を数理モデルに落とし込み、それを解くという作業を行った人々である。

参考文献のあるものもあれば誤解も恣意的な決めつけもあり、現状では海のものとも山のものともつかないので、特に参考文献は明示しない。シュンペーターの『経済分析の歴史』が参照できない現状では何を言おうとも屑の遠吠えである。意図的に誇張した書き方をしているし、基本的には根拠不明の与太話と考えてほしい。なおヒックスの『経済史の理論』とバーンスタインの『リスク』には一応目を通したが、何を書いてあったかは覚えていない。

「前口上」を除き、現状で章題のみで中身がない部分を含め、以下の内容については予告なく追記改編を行う。

経済学以前

貨幣というのは経済学よりずっと古い。人類学の考察対象になるレベルで古い。要するに一定規模以上の人類集団では、貨幣は自然発生する。そして貨幣と実物の富と労働があるからには、我々が今の観点で経済現象と呼ぶものは経済学以前から存在した。ただ、それを経済現象として認識/分析する知的枠組みは、ある程度安定した巨大な生産力を持ち、市場における富の流動化を可能にする近代社会とともに成立した。

毎日腹一杯食うことが一部の限られた人にとってのみ現実でありえた中世〜ルネサンスあたりのヨーロッパから話は始まる(これ以前の学問は図書館によって管理された文献を持たず、従って現代の学問との連続性が薄い)。さしあたって中世の社会思想というのはスコラ哲学の一分野であった。旧約聖書こそが公平さの基準であり(新約聖書からヒューマニスティックな斟酌が加わるにせよ)、それに合理的個人主義*1が合わされば、ちょうど今でいう新制度派*2、あるいは「法と経済学」*3に似た議論がなされることになる。

有名な政策提言としては、金利の禁止、が挙げられる。これは経済成長を禁止しているのと同じことだが、理由はある。農業の生産性が恐ろしく低いので、農業以外の産業が発達すると、農業従事者が足りなくなり、皆が飢えてしまうのだ。利用可能な熱源に限りがあり(陽光と薪と枯れ木と藁と動物の糞だけ)、肥料も合成できないのではどうしようもない。たしかに土地の私有の許されない農奴インセンティブの低さは問題だろう。だがそれで中世の貧しさをすべて説明できるとは、自分は思わない。貴族の子弟が道楽もしくは酔狂で私有地の耕作を開始することは可能であったはずだ。飢えたら本家に泣きつくという「ソフトな予算制約」*4の問題があるにしても。

それでもちまちま余剰を蓄えていけば(実質経済成長によって生まれた余剰は、金融が機能していないから、全て王侯と教会が死蔵し、ごく一部を極端にリスクの高い投資に割り当てた)いずれ帆船くらいは建造できる。新大陸からの財貨の流入により(コーヒー豆と、それを売買する銀貨がいきなり目の前に山と出現した状況を想像してほしい)インフレになったりしたときにはそれなりの分析が行われたものの、しかし自由市場というものは村の農産物市場くらいであって、労働市場はギルドで分断されきわめて不均質、産業は未発達な上に王侯の特許状によって営業の可否がコントロールされるなどこれまた不均質であり、リスクをやりとりする保険や証券市場もないから、いまでいう経済学に相当するものは成立しようもなかった。

だがアフリカや南米から流れ込む財貨と、壊れるまでこき使ってよい二本足の家畜たちが着実に富を増やしていった。その富は王侯や教会以外にも散らばっていった。

重商主義重農主義

気づけば王侯は贅沢をするために商人から借り入れをする立場に成り下がり、貿易商人と国家は癒着していた。幽霊船の船長の心臓を握り、クラーケンを支配せんと企む王立特殊会社のエグゼクティブが映画*5の悪役に居たが、あれはどうも現実味に欠ける。どちらかといえば、大企業のロビー活動で大統領が決まり、投資銀行のトップが回転ドアで財務長官になるような感じではないか。

植民地の搾取で得た富が国内の開墾をブーストし、各国が経済成長を禁止する宗教の制約から自由になり、ガリア地方がフランス、ゲルマン地方がドイツ、ブリテン島がイギリスになりつつあった頃である。組織的な工業生産が行われ、遠洋航海のリスクの引き受けを巡るトラブルでユダヤ商人が胸の肉1ポンドを切り取られたりといった事が起きるようになった。この頃にはコーヒー豆は思考をブーストする覚醒剤として濫用されており、たとえばイギリスの重商主義の研究者たちはみなコーヒーを飲んで思考を論文に書くなどしていたし、ロイズコーヒー店から保険市場(現代の CDS 市場に相当する)が発達した。同時期の日本の魚市場や米市場の発展を言いたくなるのは人情だが、残念ながら基本的に江戸期の日本は領邦とギルドで分断された中世社会そのものであり、ドイツとは比較できるかもしれないが、イギリスやフランスと比較するのは厳しいものがある。

この絶対王政時代のヨーロッパにおける貿易理論がどうも現代における経済思考の元祖らしい。これは要するにいかに不公正な条件で貿易をやり、相手からは沢山の富を得て、わずかばかりの富を返し、自国を富ますか、ということである。2010年現在の通貨安戦争を見る限り、この点において人類はいささかも進歩していない。

ただし完全なやらずぶったくりでは貿易は破綻し、戦争になってしまう。なので自国が相手国に差し出す富を増やすための研究も行わねばならない。要するに国内の土地から果実をいかに絞り取り、アフリカや南米から連れて来た奴隷たちの尻をいかに叩くかということである。同じことは国内の農民や工場労働者についても言える。10公0民ではさすがに年貢を差し出す前に死んでしまう。

古典派経済学の成立以前のイギリスの経済理論は基本的に重商主義に留まっていた。
これは国内国外を問わず軍事力(海賊力)にものをいわせ極力やらずぶったくりを貫徹しよう(そしてその為に自国政府の通貨発行権、(正負の)徴税権や(負の)労働者保護法制など使えるものは何でも活用しよう)という代物である。英語 marcantalism は訳語の通り「商人(重視)主義」もしくは「商売繁盛至上主義」であるが、現代日本語でもっぱら悪口として使われる「ネオリベ」もしくは「市場原理主義」は、より適切に「重商主義」と呼ばれるべきではないだろうか(ただし金融面を無視しているのでまだ問題はある)。
こういう動機があったので、イギリス人は、政策が市場に及ぼす影響については良く知っていたのだ。
なお我々の良く知っている新重商主義、つまり国内雇用確保のために関税政策で自由貿易を制限しようという(福祉国家前提の)経済思想は、古典派以降の経済学の枠内で定式化されるもので、絶対王政時代の重商主義とは区別しなければならない。

フランスの現実はイギリスより遅れていた。商業が発達せず、農業依存度が高かったのである。皮肉な事に、それが一因となって、経済理論はイギリスのものより進んでいた。20世紀のフランス社会学ではないが、「再生産」の重要性を理解していたのである。これは(国内の)農民の食い扶持を考慮するという意味で、重農主義と呼ばれる。邦訳語は日本人がその政策的含意を考慮してつけたものである(誰が案出したかは知らない)。仏語 physiocratie に「農民がどうの」という含意はない。(doubtful:これは後述のケネーの著書のタイトル Essai physique sur l’économie animale (1736) に由来し)、「自然の道理が支配する」学派、である。laissez-faire、である。フランス人にとって社会システムは physical world のうちに入るらしく、日本人の感性からすると違和感がある。

なお江戸時代の日本は周知のように鎖国しており、海外からのやらずぶったくりはやりたくてもできなかった。これは日本独自の経済学が発達しなかった理由のひとつであると思われる。

当然ながら学派を特徴付けレッテル貼りするのはその批判者によることが多い。
physiocrat はおそらく英国勢の造語、mercantilist は Smith による悪口だし、classical というのは Keynes が Ricardo 以降自分の先生たち全てに貼ったレッテルである。さっきの例に(レーニン主義的な) capitalist を加えると近代経済学史というのは physiocrat -> mercantalist -> capitalist -> classical というレッテルの貼りっこの歴史である、と整理できるけど、こう整理したときに何を無視しているかは意識しなくてはいけない。そういう「イデオロギー戦略」に手を染めていない者は「大家」として認識されることもなく、そこで認識や方法論にドラスティックな変化が生じていても外野からは無視されがちになる。

経済学の始まり

貿易高や税収などの集計データを分析し、その相互の関連を分析するところから経済学が始まった。17世紀後半。イギリスのペティが王様に恭しく意見書を提出し、フランスのケネーは百科全書のエントリを書いたり、図一枚を回覧した。

ペティの作成した政治算術は基本的に植民地や自国の会計報告、つまり唯一のステークホルダーたる王室へのIR資料の類であったようだ(しかも表形式になっていないので読みづらい)。各勘定項目に対する所見に経済学的な認識が反映されていたが、しょせん初期重商主義のレベルであって、「こういう制度だと農民が怠ける」という類のものが多かったのではないかと想像される。

いっぽう重農主義のフランスはさすがに数学に強い。ケネーの作成した経済表というのは各経済部門の富の量を記載した、循環参照を含むスプレッドシートである(つまり連立一次方程式による経済モデル)。ただしExcelと違って反復計算を行う機能はないので、文章で毎回のイテレーション結果について説明していた。要点は、経済の反復が破綻しないよう、生かさぬよう殺さぬように govern するという点にある。

以後、経済理論と政治経済学はイギリス、数理経済学はフランスを中心に発達することになる。

早すぎた福祉国家の失敗——自由貿易主義と新重商主義と古典派とマルクス

政治経済学はイギリスで発達した。



そして、古典経済学の建設者はリカードだが、かれの業績を日本人で知っている人がどれだけ居るだろうか。経済学を知らない人でもスミス、ベンサムマルクスマルサスの経済思想と、その政策的な含意をぼんやり知っている人は多いだろうが、経済学に対するリカードの貢献はかれが議論の対象となるような「思想」を持たなかった/持ちえなかったことと深く関連しており、したがって「経済思想史」の文脈には、かれの業績はうまく位置づけることができないのである。

シュンペーターリカードには哲学がなかったと酷評する。これはシュンペーターの弟子であるサミュエルソンについて時々言われる批判でもある。

一言でいえば、リカードの経済学は、(doubtful:財政破綻を警告し、放漫財政にブレーキをかける目的で考案されている(したがってリカードケインズは全く両立しない)。)家業からして債券トレーダーであり、公債引受シンジケートの一翼をなしたリカード自身の市場観やポジションを反映している。そのことは(特に英語圏の)経済学の世界では自明のこととして認識されている。だが、それはリカードの経済理論が恣意的なポジショントークにすぎないという意味ではない。リカード自身が完全競争市場を範型としたことで、はじめて経済理論は首尾一貫した体系を有するに至ったのである。そして、それはリカードが暗黙に想定した数理モデルのパワーと内在的制約とを最初から有していた。更に重要なことだが、リカード自身の価値観に反対する議論を組み立てる場合にも、リカード経済学の説明装置はある程度まで有用である。それがマルクスが「ブルジョア経済学」たるリカードの理論の理解に尽力し(成功したとはいえない)その発展にも貢献した理由である。

リカードがこのように「けち」な経済理論をシステム化した経緯は、福祉国家の破綻という現実にある。

(スピーナムランド制度(19世紀のベーシックインカム)とマルサスリカードと英国人の数学嫌い(明示的なモデルを作ってもそれを数学付録に押し込むなど)について書く予定)

なお、マルサスは経済成長モデルを構築し、その中に人口の項を用意した。経済成長論において人口は現在も重要なファクターではあるが、現代の経済学者はほぼ人口について語らない(新マルサス主義者としてのケインズは例外)。これは、農業依存度の低下もあるが、

セーの販路法則に対するリカードの評価は?

(セーは名前から判るように再洗礼派のユグノー。セーの規制緩和論はナポレオン政府と折り合いがつかず、むしろ王政復古後に評価されたこととか)

『経済学・哲学草稿』において、カール・マルクスは(当時の古典派経済学における)一般均衡理論を、(ジェームズ・)ミルの『商業の擁護』を例にとって、批判している。かれはミル父の需給一致の説明を「形而上学的」と評する。念のためにいえば、マルクスは非難のニュアンスをこめてそのように言っているのだが、ごく簡単に科学哲学の観点からみれば、そもそも「需要」も「供給」も、「取引」と違って操作的定義ができないのだから、形而上的観念には違いない。

だがマルクスはミル父の説明で何が捨象されているかをきちんとは言い当てていない。私見では、どのようなタイムスケールで均衡が成立しているかを全く明らかにしていないことがミル父の問題である。かれは定常状態を仮定しているから、各時点での均衡は、持ち越しを無視した近似(そして、近似誤差の過小評価)に過ぎない。売れ残りは価値ゼロにならないとしたら(したがって生鮮食料品の腐敗やキャパシタ・乾電池等の液漏れは無視される)、在庫として資産に計上されるし、バッタ屋に売られるかもしれない。価値のある売れ残りの累積過程は会計的にも現実的にも持続可能でない*6から、社会制度としてそういうものが採用されることは考えにくい、とミル父は(古典派経済学者が通常そうするように)仮定した。

マルクスはここで貨幣が実物取引の媒介過程ではたす役割をミルが無視していることを批判した。例の悪名高い G-W-G の図式はここで登場する。マルクスは、在庫循環的でない不況(金融恐慌)の真の原因は、実物取引に見合わない量の貨幣が存在することによると考えていた。自分はこれには必ずしも賛成でない。実物取引を使って金融恐慌を起こす方法は最低でも2つあり、それは信用取引で期間の利益が過大になること、循環取引により売買高を水増しすることで実現できる。マルクス自身は、エンゲルスによる人類学・社会学歴史学の知見の助けのもとで、過度のリスク回避をもたらす貨幣制度の「物神性」と、過剰生産を招く工業生産の「物神性」を、ヘーゲル哲学を駆使して徹底解明しようと試みたのだが、これは全く数理モデル化とは無縁の、ミル父のものとは別種の「形而上学的」議論であるから、ここでそれを詳述する気はない。

ともあれこの時点で古典派経済学の「貨幣ヴェール観」は批判の対象になっていた。そして、マルクスによる批判は現代的観点からは少し的外れに見える部分がある。もちろん、マルクスが批判した結果として資本主義(という呼称からしマルクス命名)そのものが変化したからでもあるが、ヒックスとサミュエルソン以降の新古典派経済学もまた、期を跨いだ取引の持ち越しや、証券取引を考慮しており、従って理論的には一応の解答を与えているからでもある。

リカード派と新ケインズ派新古典派経済学の末裔であり、この路線に従って「貨幣」を含む証券をフォーマルに論じる。これはマルクスケインズフリードマンといった、経済学史の大スターたちのインフォーマルな議論(かれらはいずれも「貨幣」を特別視した)とは異なるし、理論的にも異なる帰結へと導くことが多い。そしてここでもまたリカードをどう評価するかが重大な問題になる。リカードはフォーマルな議論をインフォーマルに表現した、というのが一般的な見方であって、

だがリカードと現代の新リカード派の同一視はバローが自らの財政学説を根拠付けるためになした主張に拠るところが大きく、根拠薄弱である。リカード全集の編集者、ピエロ・スラッファをはじめとしたイギリスのマルキストポスト・ケインジアン)は、そもそもリカードの経済学を均衡理論であるとする解釈を否定し、リカードを不均衡理論であると考え、そしてこれはマルクスの立場でもあると主張する。

なお不均衡理論の特殊ケースが均衡理論であるが、たとえば労働市場の不均衡理論は「失業状態」という職を定義すれば近似的に均衡理論となる(ただし取引コストを考えると効用関数は効用の小さいところに不連続点があり、それ以下で0となる)から、この区別は、少なくとも経済理論の水準では、見かけほど本質的なものではない。ただし人間は言葉面に大きく左右されるし、それはポスト・ケインジアンが不均衡理論を支持する最大の動機である。かれらはマルクスの後継者であり、恐慌を問題視する。恐慌とは、t期における財市場の不均衡、あるいは「価格ゼロの証券が溢れる均衡」と、t+1期における労働市場の不均衡、あるいは「失業者が溢れる均衡」によって特徴付けられる。あくまでも新古典派的な言い方を続けるなら、ポスト・ケインジアンはこのような均衡をパレート最適でないと考える。

リカードはセー法則についてどう考えていたのか?

リカード自身は自由貿易を支持したので重商主義者でないとみなされているが、むしろリカードの立論は古典的重商主義の立場から整理すべきであると自分は思う。リカードの経済学は、当時のイギリスにおいて特定の政策パッケージを支持する論拠となる、だが一般的な状況では相容れないいくつかの理論のパッチワークである。だから『経済学と課税の原理』は筋が通らず、読み辛い。

新古典派経済学の誕生——ただしフランスだけに焦点をあてることにする

フランスの中央集権的傾向はむしろ王権の弱さに由来すること
(限界概念について理解しないといけないんですが目下クールノーワルラスとドブリューをなんとかしないといけません)

Walrus の cobweb process は動学といえるか?
均衡理論としては静学であるが、漸近安定性は保証されていない。
漸近安定でない場合、均衡理論ではない。→ Wald の条件、Scarf のアルゴリズム

即時均衡を可能にするのは市場の完備性(あらゆるデリバティブ取引が可能である、ということ)で、これを入れないと Arrow-Debreu の証明はできない(Arrow がリスクの下での意思決定理論に手を出した一つの動機でもある)。そして Arrow-Debreu が証明したのは存在定理であって、実際に計算可能な均衡モデルは均衡モデル全体のうちのごく小さいクラスにすぎない。(線形なら確実に対角化できるし、対数線形モデル=非線形モデルもイテレーションによって計算可能。問題は指数関数を含む場合)

静学と動学の違いは画像と動画の違いと同じ

ミクロとマクロの違いは更にこれに GDP など aggregation の問題が絡んでくる。GDP というのはリンゴと蜜柑の個数を加重平均したような代物であって、「全体として増えた/減った」ということに意味があるかどうかは哲学的なレベルではなんともいえない(→ケンブリッジ資本論争におけるイギリス勢は左傾していたが、ハイエクLSEの極右の科学哲学からの批判を受け入れ、集計量に懐疑的だった。一番右側に居たのがヒックス、左側にいたのがジョーン・ロビンソン。一方アメリカではレッドパージで真の左派は居なくなり、サミュエルソンの楽観主義が力を得た)

時間の矢に沿った系の時間発展ではなく、たとえば貨幣の発行量を動かした場合の変化は

限界革命

特に断りなしに意識していると思われるカントの三批判の真(理論)/善(実践)/美(判断)とは少し違うが、ワルラスのタイトルの『純粋-』は本書もまた理論を提示するものであると語っている。ここでの区分は別の三区分、すなわち真(理論)/善(道徳)/用(政策)である。うまく合わないのはご愛嬌。

新古典派経済学に理念があるとしたらワルラスがここで言っていることに尽きると思う。よい社会は重農主義者(そしてそれを踏襲したセイ)のように自然に任せて(Laissez-faire)おけば実現するというものではない。

そしてこの立場は最初からオーストリア流の経済観とと鋭く対立する。ワルラスベーム=バヴェルクのファイナンス的な資本理論(均衡の結果としての利子率を所与として受け入れる)を批判して、これは一般均衡モデルの中で説明されなくてはならないとする。

ベームベヴァルクなど、ドイツ歴史学派に対する批判/形式化、としてメンガーが出てきたこと、帝国主義の枠内でリベラルが機能しえたオーストリアで理解されオーストリア景気循環学派(≒ウィーン学団、ミーゼス、ハイエク、モルゲンシュタイン)の理論的基礎になったものの、ウェーバー兄弟などドイツ歴史学派(社会学的構造の経済的影響を重視する)への影響は極めて限定的なこと
ジェヴォンズらもイギリスでは別の理由(数学の水準が低く、マルクスを含む古典経済学派の影響が強すぎた)によりあまり徹底的には理解されなかったこと

限界概念が必要なのは不完全代替財など非効率の分析のため。ある財の効用の逓減の背景には技術選択の問題がある。つまり別の技術を選択した場合には効用関数は取り替えなくてはならない。クールノーはこれを寡占の問題として把握したが、企業に技術が括り付けられていると考えれば上記の話の一種である。そういう意味でクールノーこそミクロ経済学の祖であるとすら言い得るのである。

そもそも弾力性(硬直性)の正体とは何だろうか。

よく出てくる食物の限界効用逓減は、実は胃袋の容積以上の食料を詰め込むことによる不効用や、食物の腐敗による外部性の効果である。だから、効用が全域的に定義されるとするなら、限界効用逓減の先には効用の減少が観測されるだろう(ローマの美食家たちを例外として)。食物の需要飽和による販路不足が現実的な意味を持つようになったことは、限界革命の背景としておそらく無視できない。つまり、限界革命は developing market (飢餓線上の経済と定義する)では起こりえないのだろう。そういう経済において経済成長は事実上人口増と同じである(マルサス人口論初版の世界)。

純粋な自由財というものも実は存在しない。あらゆる財は物理的に存在するか、少なくとも論理的に存在する必要があり、後者においては膨張するインデックスの検索/更新コストの問題が生じる。

a few goods のモデルにおいては限界代替率といった概念は直観的な意義を有するが、さて多数の財がある場合に、ある財について偏弾力性を算出するとか、ある財のペアについて限界代替率を算出することにどれほど意味があるだろうか?(これは『価値と資本』後にヒックスが追究したテーマであった)これらはいずれも効用関数が(少なくとも実際の経済において各引数が取り得る範囲の近傍において)全微分可能であるという前提に暗黙に依っている。

たとえば財政学の議論において、税率の無限小の引き上げは政府の予算制約を通じて他の公共政策変数、とりわけ各種の補助金と公債発行高に対しては1次の効果を持ち、民間経済主体の行動に対しては2次以上であるから、殊更ドラスティックな効果を有しない、という議論がありうるだろう。そういうモデルの妥当性も問題だが、税率を5%からたとえば20%に引き上げた場合についての結論を上述のカルキュラスから引き出すことが安全と言えるだろうか。ここを疑うのがノイマン&モルゲンシュタインの問題意識でもあろう。

不完全代替効果が無視できるなら、古典派の算数でほとんど用は足りてしまう。線形モデルに帰着される(不完全代替を考慮する場合には対数線形の式も登場し、これが1本あるだけでコンピュータの出番になってしまうけれども)計量経済学は古典派のマクロ経済学からほとんど進歩が無い。進歩したのは科学哲学と統計学と確率論で武装した、定式化の正当化だけである。

では、限界革命の意義とは何なのか。シニカルに言えば、不完全代替というパズルへのアプローチを示したことで、後世の経済学者にマクロ経済学のミクロ基礎付けという仕事を作っただけでなく、やや高度な数学を駆使することで、経済学ギルドへの参入障壁を設けたことである。もちろんワルラスにその意識はなかっただろうが。

なおここでジェヴォンズメンガーなど、ローザンヌ学派以外についてはばっさり無視する。彼らはいずれも数理経済学に対して本質的な変化をもたらしていない。メンガーの著作に数式は出てこないし、ジェヴォンズの著作はイギリス人の例に漏れず冗長で理系人間にはかったるいからだ。もちろんメンガーはヴィクセルの師であるし、ジェヴォンズは遠くヒックスの師匠筋に連なるけれども、それは本稿の文脈において、数学を生涯苦手としたシュンペーターサミュエルソンの師であったのと同じ意味しか持たない。

エッジワース?

counting equations and unknowns

たとえば計量経済学で構造VARなるものがあってこれは通常連立線形一階差分方程式系、つまり first degree linear autoregressive model を意味するが、携帯電話の中に入っているようなごく普通の DSP で実装したデジタルフィルタである


貨幣経済学へのアプローチ

(ヴィクセル)

ヴィクセルは数物系出身で、ついでにいえば無神論者であった

ウッドフォードの著作がヴィクセルの21世紀版を意図して同じタイトルにした件

購買力平価説

(カッセル、アーヴィング・フィッシャー)

定型化された事実(Stylized facts)

生産設備の投資額と生産能力の0.6乗則(あるいはCobb-Douglas)
利益率が低下している状況で労働集約的な(低レベルの)技術が復活する件

謎のラムゼイと変分法にまつわるややこしい話

変分法ニュートンライプニッツとベルヌーイらが同時に発明したにもかかわらずハーディー以前のイギリス解析学はフランスに遅れていたこと、ラムゼイは左派だったが、租税と貯蓄、という二つのテーマがリカードの扱ったテーマと本質的に同じであること)


ケインズ革命はいかに数理経済学に取り込まれたか

体系家というのはたいてい楽天家であって、1950年代、60年代のアメリカの思想的土壌はサミュエルソンのような体系家の活躍を促すものだった。ヒックスは対照的で、数学よりは経済学に信を置いた。これは英国が、特にハーディーがフランス解析学を輸入する19世紀末まで数学後進国であったことや、ケンブリッジでもLSEでも常にマルキストなど経済学に否定的な左派との議論の機会が多かったことによる。かれらはいずれもオーストリア学派の影響下で経済学を研究し、その上でケインズの主張のモデル化に取り組んだ。

『価値と資本』におけるヒックスの方法は比較静学であり、利子率(長期国債金利)は外生変数である(動学モデルではこれは当然時間の値段の変動としてモデルが記述すべきもの)

21世紀初頭において新古典派マクロ経済学というのは、一言でいえば「金利はなぜ決まるのか」を説明する理論であるが、ヒックスの『価値と資本』はそうではない。ヒックスは様々な数理モデルを提示してこの欠陥を埋めようとしたが、勝利を収めたのはサミュエルソンの動学的アプローチであり、現代の新古典派マクロ経済学はすべてこれを基礎としている。これは英国の落日と米国の隆盛という、多くの学術分野でみられた現象の一例


外生変数のあるモデルを一般均衡モデルと呼ぶのは妥当なのか

ポストケインジアンの disequilibrium view、ジョーン・ロビンソン、ピエロ・スラッファ
→古典派経済学の理論枠組みによるケインズ主義

ゲーム理論

microfoundation という厄介な問題はゲーム理論がなければ妄想に留まっていたはず

合理的行動を定義するのに「効用」を基盤とすることには哲学的な問題点がある。つまり個々の経済主体の効用関数は外から unobservable。

ノイマン&モルゲンシュタインが解析学から組合せ論的関数解析の世界に移行した理由とは

Walrasian cobweb process (Kaldor 1934) が需要側と供給側の交代手番ゲームとみなせること
ツェルメロのチェス定理、ノイマン&モルゲンシュタイン、効用が連続値ではなく離散値を取ることが単純化にとどまらない意味を持つこと、「逆向きの数学的帰納法」、
所謂「ゲーム理論的」状況というのは Jacobi iteration と Gauss-Seidel iteration の違いが意味を持つような感じ

単体法

Scarf's algorithm -- NPな理論に対するPな接近

Dynamic Programming

ベルマン、有限階差法、逆向き推論のもう一つの例

ユークリッド幾何と位相空間論と不動点定理にまつわるややこしい話

(Theory of Value、ブラウアー、宇沢、角谷、ナッシュ)
(擬線形を上回るオーダの関数は一般均衡体系の中では破壊的な役割を演じ、そしてそれが最大化問題の解の存在証明を異常に難しくすること、特に一般の指数関数は解を求めるアルゴリズムを定義不可能にすること)

微分方程式系の解の安定性にまつわるややこしい話

(ターンパイク云々)

現代に復活した古典派の憂鬱な算数と一階線形差分方程式にまつわるややこしい話

(合理的期待=荻原博子のアドバイスに従う家計、日経新聞を読む経営者によって経営される工場のこと)
合理的期待による非ケインズ効果(公債発行が増税と同じ効果を持つ)についてバローがこれをリカードに帰しているのはpriorityの観点からは間違っていないが、リカード自身はこの理論的可能性を指摘したが(公債トレーダーとしての自身の経験に照らして)現実に妥当するかどうかを疑っていたこと
(Recursive computable equilibrium、リンクヴィスト&ストーキーの recursive は当然 general の方であって primitive recursive ではないことの説明、なぜ RBC モデルに t+1 の項が出てくるか、ということについての「リカード派的」説明と差分方程式の解の安定性の観点からの要請)
DPによる初期値問題の差分解法、という枠組みの中に、リカード派の経済思想が埋め込まれていること(NPGとかtransversalityなどの境界条件は他の枠組みと適合させることはできない)

数学注釈:著しく不連続な関数としての確率分布

高々有限の値を取る関数が「発散している」といえるのはどういう文脈においてか

測度論全般の話は自分も理解できてないのでしない。ディリクレの関数概念はオイラーのそれと著しく違うこと、ベールやボレル、ルベーグらが扱いやすい「ほぼ連続な」関数を論じたがやっぱり極端に不連続な関数=式で書くことが無意味であり、確率分布(積分)で特徴付けるくらいしかやりようのない関数、は倒産などの中間のない現象を扱うには不可欠であること

恐慌

資本の有機的構成、
微分を理解しなかったことをマルクスは別に恥じるには及ばないこと

  • 古典派の算数に微積分の出番は(まだ)ないこと
  • 恐慌の数理的に閉じたモデルは確率論と不連続関数(ゲーム理論でいう「戦略」)なしには作れないこと

マクロ経済学は科学か?

マクロ経済は茹でガエルか?

茹でガエル現象というのをどう定義するか?

相転移が起きないまま低温/高温になった液体は、部分的な圧力の変化や異物の投入をきっかけに瞬時に相転移を起こすことがある。ハイパーインフレについての議論はこのようなイメージで語られる。だが developed economy において全面的な公債のデフォルトは起きそうもない。

エヴァンズ=ホンカポージャは、オールドケインジアンの適応的期待を捨ててRBCが逆向きにした時間の流れをまわりくどい方法で再導入している、つまりフィードフォワード制御における t+1 の期待項を 0 .. t-1 から作ることになっている。適応的最小二乗法。エヴァンズモデルにおける経済とは、エコノメトリシャンや証券アナリストが経済統計を注視し経済関数の切片と傾きを改訂し、それによって経済の先行きを予測しようとする現代経済のこと。

エヴァンズ=ホンカポージャの探究は、いかに経済が「バブルにはまる」か、サージェント、バロー、ルーカスらが主張するような非ケインズ効果が合理的期待の下でも起き得ないか(学習可能でないか)という問題意識に駆動されているように思える。だがこれはこれで付和雷同的な投機家の行動の「限定合理性」を主張する理論だから政治的に利用されやすい。新しい古典派が財政タカ派に政治利用されるのと同じ危うさがある。

もちろんセンの合理的な愚か者、の議論が与えた影響も少なからずあるだろうがそれは表面的には現れていないはずだ

彼らのフレームワークはいつ投機家が「非=限定合理的」に行動し、誤った価格を劇的に訂正するかという事については何も語らない。マッカラムやウッドフォードがこれを新ヴィクセル派の立場からサポートしている、たとえば FTPL は短期的に成立しないという議論はこのフレームワークで行われ、FTPL という研究プログラム自体を壊滅させた。

マルクスが考え、たとえば日本では宇野弘蔵とその弟子筋が検討した恐慌論は現代の主流の経済学においては複数均衡の問題として整理されてると考えていいのかもしれない

AI研究の一翼としての数理経済学

そもそも数理経済学は常にAIのすぐ近くで発達していた。ランド研究所は Scarf や Bellman、Debreu らに資金提供してきたし、von Neumann に至っては数理経済学のあらゆる側面に関与している(解析学を古い道具として組合せ論的な精緻な議論を重視した彼の発想が本当に正しかったかどうか自分は疑っているけど)

現代マクロ経済学はある時点から通常科学を標榜するに至ったが、この背景にはエコノメトリクスとの深い関係がある(特にプレスコット以降)

統計学の高度なテクニックに依存した議論というのはそれだけで反証可能性が疑わしいものだと個人的に思うが、

既存の経済統計や株価を前提にした自動売買システムはそれがファンダンメンタル指向であれテクニカル指向であれ必ず何らかの経済モデルを離散化し、かつオンラインアルゴリズム(メモリの消費量がならすと一定であり、malloc/free のオーバーヘッドが爆発しないようなもの)として実装されなければならない

つまり合理的経済人のモデルはロビンソンクルーソーから株ロボに変化しているし、それは第一次/第二次産業の生産性が産出制約にならない developed economy の性質を反映している。貿易における力関係は資本市場のそれに振り回されているとしか言いようがない

現代マクロ経済学の経済数学の教科書が recursive を強調するのはそういった形で具現化した構成的数学思想の反映である(なお経済方面の recursive は再帰理論よりずっと意味が狭いこと、ギデンズ社会学のそれは反対に漠然としていることを注意したい)

現代的な視点ではこれは学習してモデルに反映してそのモデルに基づいて行動する、という形をとる

*1:アリストテレス

*2:ノース

*3:コース

*4:コルナイ

*5:パイレーツ・オブ・カリビアンの2と3

*6:「持続可能性」は20世紀末の新リカード派経済学者が好んで使う単語である