経済学における重力(前編:『ノーベル賞経済学者の大罪』覚え書き)

こんな本を買いました

ノーベル賞経済学者の大罪 (ちくま学芸文庫)

ノーベル賞経済学者の大罪 (ちくま学芸文庫)

毒々しく残念な邦題は本書の原題 The Vices of Economists: The Virtues of the Bourgeoisie を忠実に反映してはいません。売れればいいってことでしょうね?
反経済学本を腐して暇を潰すのは評者の唾棄すべき退屈な悪趣味であると認めますが、本書の価値は読書人が通常期待するようなイデオロギーアネクドート、定型的な経済学批判に尽きるものではありません。

学説史的背景

本書の著者、ディアドラ・マクロスキー(Deirdre McCloskey)が標榜する、経済学上の学問的系譜は二つある。
ひとつは自らが経済学の教授であるところのシカゴ学派で、もうひとつはオランダの「ティンバーゲン学派」(本稿での仮称)であり、エラスムス大学に招かれた際の講義を基に書かれた本書において、マクロスキーはヤン・ティンバーゲン、チャリング・クープマンスに連なるオランダ経済学の継承者の立場から経済学の現状を批評する。
ティンバーゲンパウル・エーレンフェストの下で物理学者として訓練を受け、同門にはヘンドリック・カシミールがいる。彼の弟、ニコ・ティンバーゲンは鳥類の動物行動学で知られ、コンラート・ローレンツの同僚であった。
本書の文脈を離れてティンバーゲンの経済学への理論的貢献を簡単に整理すると:
(1)豚肉価格においてみられた定常的不均衡(hog cycle)つまり価格調整のラグの分析から、「くもの巣調整過程」(cobweb process)を提唱し、アルフレッド・マーシャルの数量調整とレオン・ワルラスの価格調整が同時に働いて市場均衡に近づくことを示した
(2)貿易理論における「重力モデル」(gravity model)の提唱。
(3)モデルの変数についての考察から、政策手段の独立性の概念を確立する(マーシャルのいう「方程式と未知数の勘定」を一般化したものともいえる)。これは後にロバート・マンデルの政策割当(policy assignment)の議論に発展する。
これらはいずれも開いた市場の分析において重要な分析用具であって、オランダという小国で発達したことに若干の必然性がある。
クープマンスはこれらのティンバーゲンの業績の、いわば「フォン=ノイマン後」のアメリカ経済学における一般均衡理論との接続(経済活動の相互作用の線形化によるアクティビティ・アナリシスの提唱)、重力モデルの交通経済学への適用、コウルズ研究所がシカゴにあった時期におけるミルトン・フリードマンとの議論を通じての経済学研究の方法論(methodology)すなわち経済学の科学哲学的検討(「理論なき計測」という表現はクープマンスに由来する)などの業績がある。彼もティンバーゲン同様に物理学の背景を持っていた。
マクロスキーはこのクープマンスに傾倒し、業績を知悉しており、ティンバーゲンのアイディアのいくつかの発展、特にマンデルの国際マクロ経済学ポール・クルーグマンの経済地理学、新貿易理論への貢献を低く評価している。

本書におけるマクロスキーの修辞と論点

マクロスキーは上述の経済学説史上の立脚点以外に、フェミニズムによる修辞学的な経済学批判を試みる。こういったポストモダニズム脱構築批評はいささか古めかしく映ることは否めないし、ソーカル批判やテオドール・アドルノに対する女子学生の「クラス入り」の一件を連想して本書の議論の妥当性をいぶかしむ向きもあろうが、本書の議論はこの意匠を取り去ったとしても成立している。
本書においてマクロスキーは以下の三点を批判する。
(1)黒板経済学、つまり量的分析の有効性に寄与しない過度の数学的厳密性と著者が「砂場遊び」と呼ぶような反実仮想によるパズルの量産
(2)効果の多寡を問わない統計的有意性の乱用
(3)経済主体の合理的判断による政策効果の減殺や為政者の利益相反を無視した社会工学
これら過度のテクニカルな厳密さに溺れかねない論点を、見通しよく述べるためにフェミニズムの修辞を用いることを著者は適切と考えたのである。
なおマクロスキーはシカゴ学派を自任しており、基本的な考え方としての合理的期待への肯定的評価が(3)の議論の基礎にある。ただし政策無効命題については黒板経済学であるとしつつも若干煮え切らない扱いをしている。
上記の三点の批判の中でティンバーゲンを標的に擬した(3)は実質的な内容に乏しく、ポール・サミュエルソン、ローレンス・クラインをそれぞれ槍玉に挙げた(1)(2)の議論に見劣りする。概して案山子役がいずれも古すぎる嫌いがあるのもシカゴの同僚たちへの直接の批判を避けた結果でもあろうが、特に(3)が切れ味を欠くのは本書の、オランダ経済学への一風変わった賛美としての趣旨からティンバーゲンに遠慮したとも考えられる。
だが、ティンバーゲン、クープマンスおよびマンデルの経済学には、方法論や確率的考察を通じて(2)に、また幾何を通じて(1)に、内在的に結びついていくやっかいな性質があって、その正体を(マクロスキー自身の認識水準はどうであれ)本書では明示しえてはいないと評者はみる。その正体なるものは何か、別にエントリを起こして論じたいと思う。