経済学における重力(後編II:経済的ポテンシャルとその緩和過程)

前説

前回の記事「経済学における重力(後編I)」では不変の価値尺度財(理想化された貨幣)の存在とその整合性が、無限次元線形代数の「基底」の問題として考えられること、連続時間での困難は基底の非存在によるものであることを指摘し、計量ファイナンスにおける量子論とのアナロジーのごく概略に触れ、無限次元の一般均衡に基づく計量ファイナンスが、経済学において通常は所与として扱われる実物的需要を(オプション価値の一般論として)取り込んでしまっている事情を説明しました。
しかし、この一連の記事のタイトルは「経済学における重力」となっていますが、いままでのところ、「重力」の話は少なくとも明示的にはしていません。*1計量ファイナンス量子論的見方が依拠するヒルベルト空間は線形的(linear)・加法的(additive)であり、相対論的重力の依拠する空間の歪曲(非線形性、優/劣加法性)はその枠組みに入らないからです。*2
一般均衡に基づくマクロ経済学や計量ファイナンスの基礎にあるアロー=ドブリュー証券の仮定は市場が完備であること、すなわちありとあらゆるリスクは証券化して売買できることを主張するものですが、取引コスト(transaction costs)*3の存在する現実の世界では微小なリスクの取引は市場として成り立ちません。たとえば海産物の先物取り引きは好況の時期に欠品リスクのヘッジ手段として開始されるのですが、現物のだぶつきによる値崩れ、流動性の枯渇からすぐに市場が機能しなくなります*4 *5。実数論という盤石な仮定に基づきいくらでも細い線を引ける古典的数学の世界と、測定手段によって決まるある太さがなければ線を線として視認できない現実の世界は違っていて、アロー=ドブリュー証券の仮定は前者の領域に属しています*6
では無限次元の一般均衡絵空事なのでしょうか?たとえば株式市場でのアルゴリズム取引は洗練され、21世紀初頭時点において、市場の流動性維持の見返りとして決済インフラへの高頻度アクセスを許された一部の市場参加者の収益を産んでいます。この高頻度取引(high-frequency trade)は公平性の観点から疑わしいものであり、市場を均衡に近づけるよりはボラティリティを高めているようにも見えるのですが、金融市場を高頻度で観測、介入する、ということが、小さい値動きのエネルギーから収益を上げることを実際に可能にしている点で理論的に興味深いものです。計算機や通信回線の高度化によって一部の市場参加者に限らず、小口の投資家も同様のスピードで注文を行うことができるようになれば、小口投資家から一部のHFTトレーダーへの収益の流れは断たれ、市場は再び均衡へと向かうはずです。
均衡へ向かう経済発展の経路が、知識や技術とどう関わっているかを明らかにするということは、経済成長理論の中心的課題であり、マクロ経済学における、市場と実物的詳細の接点はここにあります。時間軸の測定単位の微細化によっていわば「冪的に」細分化された市場の状態空間上での取引が均衡に向かうには、まず時間軸の測定単位が共有されることが前提となります。時間軸の細分化による市場の「高度化」は何の新しい価値も産み出していないかもしれませんが、では空間の細分化による、たとえば新素材の開発は、実物的に何か新しい価値を産み出してはいないでしょうか?
知識や技術の偏在は地理的条件と同じくしばしば独占的競争を可能にしますが、情報の時間的/空間的配位という観点からは知識や技術の偏在も地理的条件も同じものと捉えることができ、これは統計力学的な分配関数から定まるポテンシャル(自由エネルギー)が熱や物質の流れを生む、という物理学の見方と符合します。オプション価格理論におけるブラック=ショールズモデルと熱拡散のアナロジーはよく指摘される*7事ですが、これはポテンシャルの正則化と伝播というそもそもフーリエが追究していた*8テーマが、何か知識や技術の偏在/拡散と関係していることを示唆します*9。これはまた、天文学で論じられる、自己重力系における質量分布の緩和過程とも類似しています。
メディアや大企業経営者、経営学者などが好んで語る国家や企業の競争優位*10という重商主義的な考え方をアダム・スミスが退けて以来*11 *12、経済学者はこのような考え方*13を退けるよう訓練されていますが*14、一部の国際経済学者が高度な応用問題として、たとえば国際通貨制度はいかにデザイン/安定化されるべきか、とか、通商・関税政策はどうあるべきかといった問題を検討する際には、経済的ポテンシャルの考え方は自然に現れてきます。経済的ポテンシャルの緩和過程を、経済全体への「相場観」の浸透・共有と解するなら、これはワルラスの模索過程(tatonnement)*15、エッジワースのコアへの収束*16サミュエルソンの顕示選好原理(revealed preference)*17といった考え方を貫く原理でもあると筆者は考えています。以下ではこのような経済的ポテンシャルとその緩和過程について、経済学説史を適宜参照しつつ検討しようと思います。

確率論と経済学におけるBertrandの逆説に見られるように、

社会科学における重力モデルについて

ナッシュ積

ポテンシャルの特異点としての質点とその正則化

幾何学的相互法則

ジョン・ナッシュにおける微分幾何とポテンシャル論の関係

開放経済における政策手段の独立性/従属性について

基軸通貨とギブズ=デュエム相律、オイラーの多面体定理

最適通貨圏

経済学における無限小=価値尺度財の最小単位

無限小≒超体積要素≒基底≒測地線

効用の不一致はいかにして可能なのか

一般均衡理論としての統一場理論、貨幣論としての量子重力

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*1:基底の存在は相対論的場の量子論ではいつも問題になるし、利子率を「市場の曲率」と表現したのも微分幾何や相対論を意識した表現ではあります

*2:重力による宇宙の位相幾何的構造を量子場の次元縮約の結果と捉える見方は基礎物理学の研究者の間では一定のコンセンサスとなっているように見えます

*3:Coase(1937), The Nature of the Firm, http://www.jstor.org/stable/2626876

*4:Martinez-Garmendia and Anderson(2000), An Examination of the Shrimp Futures Market, http://oregonstate.edu/dept/IIFET/2000/papers/martinez2.pdf

*5:Bergfjord(2007), Is there a future for salmon futures? an analysis of the prospects of a potential futures market for salmon, http://www.tandfonline.com/doi/ref/10.1080/13657300701370317

*6:オプション価格は一般に時間の不連続関数であり、連続時間でのアロー=ドブリュー証券の仮定は財の価格の関数が一般に滑らかでないことを意味しています

*7:Mehrling(2005), Fischer Black and the Revolutionary Idea of Finance, http://www.amazon.co.jp/dp/0471457329

*8:Fourier(1807), Memoire sur la propagation de la chaleur dans les corps solides, http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k33707/f220

*9:フーリエ展開で関数をスペクトル分解することは、その関数が定める位相空間のいわば「冪をとり」、直交関数系のなす束、つまり位相空間たちの位相空間の上で考えていることになり、これはゲオルグカントールやポール・コーエンが実解析から集合論へ関心を移した背景でしょう。こうした関数空間は許容する関数の特異性の程度に応じて無数に考えることができ、たとえば超関数の空間などもその一例となります

*10:Porter(1998), Competitive Advantage of Nations, http://www.amazon.com/dp/0684841479

*11:Smith(1776), An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations

*12:Ricardo(1817), On the Principles of Political Economy, and Taxation

*13:List(1841), Das nationale System der politischen Oekonomie

*14:Krugman(1994), Competitiveness: a Dangerous Obsession, http://www.foreignaffairs.com/articles/49684/paul-krugman/competitiveness-a-dangerous-obsession

*15:Walras(1874), Elements d'economie politique pure, ou theorie de la richesse sociale

*16:Edgeworth(1881), Mathematical Psychics: An Essay on the Application of Mathematics to the Moral Sciences, https://archive.org/details/mathematicalpsy01goog

*17:Samuelson(1938), A Note on the Pure Theory of Consumers' Behaviour, http://www.jstor.org/stable/2548836