半群的世界観と群的世界観

連続群を理解するための数学的な前置きはなぜあんなに長いのか、というのが気になっていて、確かにあれは位数というような量は持たないんだけど、かわりに次元とか極性とかそういう有限性の制約を受けていて、だから代数的計算ができるし、こんどは次元や極性の対称性自体が有限群をなしている、ということになる

ざっと考えてみるに、どうも

  • 半群論をベースにする計算機科学
  • 群論をベースにする数理物理学

って折り合い悪いというか、なにか対立する世界観だと思う
この対立はもちろん計算論には存在していなくて語の問題というのは両方に関係するし、もちろん両方に足を突っ込んでるBaezみたいなつわものもいるし、最近の量子力学(や動学マクロ経済学)の教科書はオートマタが最初のほうのページで出てきたりもする
理論物理の人がなぜ半群なのに繰り込み群と意図的に間違った名前で呼び続けてるかというと、要するにリー群の閉じた属とかW*環とか解析的連接層とかを考えていて、エネルギー保存がexactに成り立っている(詳細釣り合い)ような十分に大きな系をとればそれは群の直和に分解できる、という確信があるからであって(経路積分の数学的正当化もおそらく似たような話)、しかし計算機サイドはそういう閉じた系をほとんど常に想定しない(無限に伸びたテープ!)

で、逆に数理物理的な見方を計算機クラウドとかを考えるときに使うことはありうるか?余帰納性のあるところには繰り込み群があるとはいえそうなので