彼らはなぜ狂うのか

「狂った人達」という名スレがいちごびびえすというところにあったんですよ。
追記:クレジットするの忘れてた!長沼伸一郎のこの文章に触発されたことは否めない→知的世界の仮想的海洋は、どのような距離と深度の関係で構成されているか

いいかげん数学をロマンティシズムから解放すべき

一定レベルを超えて傑出した数学者のある割合は病的パラノイアに冒されるという経験的事実があって、例はいちいち挙げないけど、これを「無限という概念は人間にとって有毒なのかも」みたいな解釈をする人が多い。
たぶんそうじゃなくて、全体的な閉じた世界観を構築すること自体がパラノイアの原因で、そしてそこまで精緻に考えつめる人の外的現実はたいてい貧弱で、閉じていて、開いた現実を退けるような不健全な性格の人が多い、だからあたりまえに生きてる人なら誰でも感じる人間の認識能力の実際的限界が感じられなくなるし、全体観を道具主義的に扱えなくなるということ。自分を神と錯覚する、という言い方があるけど、たぶん当事者はそんな風には考えてなくて、むしろ自由な人間を代表して、いっそ悪魔と手を結んででも、決定論の神と戦わなければとか思ってたりする。もちろん全員がそうなるわけじゃないし、時代を下るほど軽症化してる印象もある
単純に組み合わせ論的な思考が脳に負担ってのと合わせ技かもしれない(純粋に組み合わせ論だけ考える人ってそんなに病んでる人少ない気が)
閉じた空間を開くと(開いた双対を考えると)無限遠点に対応する、ってだけの話を理解するために人生棒に振るのはもうやめませんか。あれはただのアーティファクトです。神がおられるとしても冪の極限みたいなものと同一視するのは一種の偶像崇拝じゃないでしょうか。

国際経済学における基軸通貨のデザインとか環境問題とか

クルーグマンが言ってるように、あれはもう職業病だと言いきっていい。貨幣論でへんなアナロジーとかでごちゃごちゃやっているうちはまだ軽症で、大物になると国際社会を操作しようとする
合理性はコンフォーミズムであり必然だけれど、外部性ってのは意図であり神だから、なにかそういうものに加担したくなるのね
これはだから「悪魔と手を結んで神と戦う」の変種ともいえる

貨幣のシミュレーションやってても

ていうか異性装に走る基礎理論の男性研究者目立つっしょ?中年になってから性同一性障害こじらせる人とか。
あれもたぶん職業病で、国家の家父長的秩序かなにかに本能的な嫌悪感が出て来るんだと思う
悪魔の誘惑に最初に屈して知恵の実を食べたのは女だったわけで、やっぱり秩序に対して欲望を肯定する、というモチーフがあるのだろう

まとめ

自分の存在を規定するような妄想においても均衡をどちらに動かすか、とタクティカルな思考を捨てられないのが経済学者の業ってやつなのでしょう。

蛇足

森嶋先生の交響楽的社会科学の話は上のどれにも該当しない気がするけど、かれ自身は裏経済が社会科学の暗黒領域だって言っていたから、やっぱり何か超越的なものと戦うというモチーフの虜になっていた気はする
大先生症候群って概念はつかいたくない
あとこの文章を書こうと思った直接のきっかけは宇沢先生の訃報