経済学における重力(補遺)

以下の補遺は落書きレベルの書きかけですが、あえて書いて晒しておくことにします。ちゃんとした数学的素養のある人が見たら誤りだらけで読めたものではないと思いますが、これらの点について明らかにするまではやめるわけにはいかない、という表明のつもりで置いておきます。随時改訂。

補遺I:経済学における複素数

本編で述べたように、経済学やファイナンスにおける行列の利用は最終的には無限次元の舞台に上がり、自由場の理論にまで到達したのだとすると、いくつかの疑問がただちに浮上する。

  • 経済学やファイナンスにおける行列に複素数は出てこないのだが、その理由は何か、またもし複素数が出てくる場合にはそれはどういう意味になるのか?
  • (追記)ファイナンスにおいて共形不変性はどこかに現れているか?

補遺II:信号処理としての時系列解析と関数解析

そもそも、線形作用素は電子回路としてはオペアンプに相当し、信号処理の言葉でいえばフィルタや発振回路そのものであるから、行列で表される「場」とベクトルで表される「状態」の関係は、いわば増幅率が1に等しい「入力と出力を短絡したオペアンプ回路の伝達関数」とその特性によって発振される「音の音色」の関係に他ならない。これが時不変であるとき「不動点」ということになる。
この「フィルタ」という概念は信号処理と位相空間論で使われているが、後者は前者をある意味で抽象化した概念である。作用素論として見た関数解析とは段階的にフィルタの特性を規定していくことであって、〜
このように、フィルタ特性を特定することは場を特定することであり、段階的に詳細化される知識と関係があることがわかる。これは、集合の包含関係が、ある意味ではその各段階の線形代数と関連していることにほかならない。
(追記)上の行は誤り。正しくは、「集合論のモデル達がメタ数学的に位相空間をなす」「作用素環を集合論のモデルとみなすことができる」
この段階的詳細化を逆に辿れば射影、すなわち量子力学でいう「観測」となる
前者は角谷の不動点定理、後者はシャウダーの不動点定理の主張であって、両者は相互の帰結であるとともに、通常の集合論の公理系において選択公理と同値である。

補遺III:無限次元線形代数のメタ数学における基本的事実

量子力学ハイゼンベルク描像の基盤である無限次元線形代数学はゲルファント、フォン=ノイマンらによって(線形)作用素論、作用素環論として整備されたが、無限次元線形代数に関する基本的なメタ数学的事実をまとめて書いてあるものを、浅学にして筆者は見たことがない。これは関数解析、代数、数理論理学のいずれの研究者も彼らにとって自明な事項をわざわざまとめる意義を感じていないからだと思われるが、ごく文系的な関心事として、経済学における「知識と富」の関係や、経済学の方法論(科学哲学)を検討するのであれば、認識枠組みとしての代数の性質は決して非本質的なテクニカルな細部ではない。本編の議論からは若干外れるが、後編IIの議論の背景の理解にも役立つと思われるためここで簡単に述べておく。
まず最大の難点は、行列表記によって具体的外延的に線形作用素を指定する手段が一般には無いことである。これは異様な主張に見えるだろう。というのは、たとえば左上と右下の要素をいくつか書いただけで「以下省略」という無限次元行列を書いているものや、直和分解して個々の行列は有限個の要素以外0になっているような行列の和の形で表記したものを我々は普通に目にするからだが、省略した要素が指定されているための条件は、それが明示的に書かれている要素から自然に類推できる再帰的なルールで構成されている、ということであり*1再帰的なルールで各要素を指定できない無限次元行列、すなわちランダム行列の具体的な表記は、単に存在しない。具体的外延的に指定できる作用素作用素全体の中で零集合にしかならず、また線形代数の式でA+B=Cなどと書いた作用素A,B,Cの存在や一意性を示すことは、式の導出に誤りがなくても、作用素を具体的に示す方法がないため、有限次元の場合と異なり一般には困難である(たとえば無限次元行列のトレースは有限次元の場合のようにに対角化した行列の対角要素の掛け算で簡単に定義することはできない)。存在しないものについては何を仮定しても誤りではないので、導出した式は単につじつまが合っているだけで無意味なのかもしれない。
次の難点は、そもそも作用素の空間の集合論的なサイズである基数、すなわち、作用素が何個あるかはレーヴェンハイム=スコーレムの定理から、非常に任意性があることである。そもそも作用素の代数的な公理は作用素の和と積について閉じた代数である作用素環が集合であることすら(すなわち基数を持つことすら)一般には保証していない。何も制約がなければプロパークラスである可能性すらある。プロパークラスとは、集合については必ず成り立つメンバーシップ関係である∈-関係の整礎性を集合論的に保証できないような対象のことであり、直観的には基数が定義できないほど巨大な「集合」を意味する。
更に、作用素について、それを対角化したときの固有値が全て整数であること、というようなきつい制約をかけたとしても、それらの作用素全体の基数は連続体濃度以上になり、その階層的類別構造には集合論の通常の公理*2では確定できない任意性がある。これは作用素環に対応する関数空間が無数にあって全部を調べきれないことを表している。
作用素論では、このように、把握するには多すぎるし一般には漠然としていて十分な具体性を持たない対象である作用素を扱うため、個別の対象をピックアップするのではなく、むしろフィルタをかけて対象を抽出する、という議論を行う必要がある。そのフィルタも、作用素として定義するのであれば十分な具体性を持たない場合があるから、フィルタを絞り込むためのフィルタが必要になる場合があるし、それが何段階も必要になることもある。いずれにせよ「抽出」という操作は一意性を保証するものではない。
線形代数(無限次元ベクトル空間)のモデルの基数や範疇性についてはMorley、Shelah等の研究があり、ベクトル空間が可分な場合には普通に考えられるような範疇性を損なうようなことは何も起こらないことがわかっているが、

補遺IV:社会的選択理論と動的計画法の関係

(Arrowの不可能性定理における「独裁者」の選出のステップを、動的計画法の時間軸と結びつけることで、社会厚生関数の存在と一意性についての議論を捉えなおすという話をしたいのですが、まだアイディアだけです)
(たとえば議題の提出順序で決定が変わるのは級数の無限和の不定性の問題と似ていて、どちらもおそらくフィルタを使った整理が有効と思います)

補遺V:Sonnenschein-Mantel-Debreu and global instability of economic "self-gravitational" field

(タイトルのみ、もしかすると本編に入ります)

*1:「自然に類推できる」ということの意味を具体的に定義しようとするだけでも数理論理学的、哲学的に厄介な事態になるが、そこは常識を働かせてほしい

*2:連続体仮設やV=Lはもちろんここでいう「通常の公理」に含まれない