「最近の乱流理論」覚え書き

こういう本が出ました

ノイマン・コレクション 数理物理学の方法 (ちくま学芸文庫)

ノイマン・コレクション 数理物理学の方法 (ちくま学芸文庫)

本書『ノイマン・コレクション 数理物理学の方法』で初めて邦訳された「最近の乱流理論」(pp. 335-414)はジョン・フォン=ノイマンが1949年に米国海軍への報告として書いた流体力学サーベイ論文ですが、以前に筆者が「現代思想」誌のフォン・ノイマン特集号を論評した際に寄稿者の誰も明確には触れておらず(そもそも流体力学等、計算科学分野の寄稿者がいなかった)不満に思った点についてフォン=ノイマン自身が明確に述べているので、その点に絞って、以前の論評の補遺として書いてみます*1。専門外ゆえ*2的外れなことを書いていると思いますので目に余るようでしたらご指摘ください。
特に出版社からお金をもらって書いているわけでも、関係者に縁があるわけでもないですが、以前の「現代思想」特集号同様に良企画であると思うので、誰とはなしに宣伝する気で書いてはいます。ただ、クーラン=ヒルベルトの有名な教科書*3と紛らわしいタイトルや、巻末解説に署名が無い点にはいささか疑問を感じます。

他の所収論文について

筆者には本来論評する能力も準備もないことをあらためてお断りした上で、本書に訳出された他の論文について、簡単に触れておきます。専門的な内容詳細については本書の巻末解説をご参照ください。
量子力学の数学的基礎付け」(pp. 7-104)は後に『量子力学の数学的基礎』*4に発展するヒルベルト空間上の線形作用素による量子力学の初期のバージョンであり、現代の作用素論の教科書よりも話の筋は見えやすいかもしれません。水素原子の角運動量のような具体的な話は書いてありません。
量子力学におけるエルゴード定理とH-定理の証明」(pp. 105-179)は量子統計力学の仕事のようです。*51940年代初頭のプリンストンでの群論、束論、確率論を巻き込んだ一連の研究(作用素環論とも密接に関連する)の起点とも思われます。
スブラマニアン・チャンドラセカールとの共著「星のランダムな分布から生じる重力場の統計」(pp. 181-273, pp. 275-334)は天体物理学の「自己重力系」についてのもので、素人らしく結論に飛びつくと、宇宙の平均的な重力場が、個々の天体の速度の絶対値に比例した負の加速度を与える(つまり摩擦力として働く)ことを結論で主張しています。

背景

流体力学および一般に計算科学におけるジョン・フォン=ノイマンの貢献の要点は、私見では、スケール間の干渉をどう取り扱うか、という問題*6 *7 を早期に認識し明確に述べ数値的な処方まで用意した点にある。こうした系では単一のスケールの枠内ではエネルギーが保存しないため、スケール間のエネルギーの輸送現象を考えなければならない。
彼がこの問題に関わるに至った背景の文脈は単純ではない。少なくとも集合論における連続体問題(連続体の濃度はどの非可算順序数と同等か)や直観主義(正則なもののみを数学的な対象として認める)などの抽象一般的な概念と、爆発物における、衝撃波(つまり疎密波)によるエネルギー輸送の理論、すなわちZND理論*8の経験、それに幾何学量子論の「射影」の考えを背景として束論の上で考えられた連続幾何学*9との関連を無視することができない。
アンドレイ・コルモゴロフ*10は1941年に非圧縮性流体(定義により疎密波は存在しえない)において大きいレイノルズ数の下で発生しうる乱流について考察し*11、ラルス・オンサーガー、カール・フォン=ヴァイツゼッカー*12らの仕事がこれに続いた。フォン=ノイマンは本報告においてこれらの研究をサーベイし、自身の観点からの整理を試みた。
彼とロバート・リヒトマイヤーが数値流体力学において導入し、本報告と同時期(1948年頃)に発表した「人工粘性」*13は流体の挙動をシミュレーションする際に、その流体のミクロの構造から導いたものではないヒューリスティックなパラメータで正則性(特異性の上限)を課す手法だが、この手法はおそらく(すくなくとも当初は)「紫外切断」とのアナロジーで理解されていたのであって、これは無限自由度を扱うという点で流体力学は場の量子論の一つの表現と捉えうる*14 *15ことを意味する。スタニスラフ・ウラムによる追悼文*16によれば、1937年時点でフォン=ノイマン「ナビエ=ストークス方程式を統計的に扱うために、偏微分方程式を、系のラグランジアンのフーリエ展開係数によって満たされる無限全微分方程式系で置き換える」可能性について語っていた。

抜粋

営業妨害にならない範囲で以下にいくつかコメントをつけずに抜粋する。
「2次元において渦度は流体中で保存される.渦度は境界でのみ生成され,流体の中へ拡散してゆく.3次元では,渦糸の強さは保存される.しかし,流れが渦糸を引き伸ばすこともあるし,ぐるぐると巻き付くこともある」(pp. 350-351)
「乱流の無秩序が分子的な無秩序と一緒になることはないのであろうか?」(p. 355)
「注意:したがって,紫外発散という考えは魅力的ではあるが,ν>0とするときには捨て去らねばならない.」(p. 356)
流体力学には二つの不連続過程が存在する.“ずれ”と“衝撃波”である.我々の現在の理解では,前者こそが乱流に本質的な関わりを持っている[..].実際,大多数の乱流理論や実験が扱っている非圧縮流体には,後者はまったく現れない」(p. 364)
「ここで述べる枠組みでは,系は両端において開いており,エネルギーは散逸されると共に供給を受けている.しかし,この両端は物理空間に存在するわけではなく,フーリエ変換の中に存在している.」(p. 369)