メモリアルレクチャーズの起源が知りたい

※最後の疑問を解明してから公開しようと思ってたのですが、民主党政権ポピュリズム政策下で学問の公衆への説明責任が求められる風潮に鑑みて拙速をわきまえず公開します。文章の性質上、個々の言明についてソースを示すことが困難なので、文系の学卒の市井の学問好きからはこういう風に見えている、という一例とお考えください(20100614)

人間はえてして良く知らないことについての自らの偏見を公にしたいという望みをもつ。それは長年の研鑽を重ね、専門家のコミュニティで高く評価され、隣接分野についてもまるっきりのトンデモや教科書レベルの通説ではなく、むしろ啓発的な見解を述べうるに至った老練の学者においても変わらない。むしろそれまでの知的に誠実たるべき学者人生を通じて安易な表明を自らに禁じてきた筈だから、相当の年数分の「言いたいこと」が溜まってさぞや腹ふくる心地であろうと思われる。
アカデミズムの世界では、そういった専門外に及ぶ見解の発表を、本や論文や学会発表ではなく、非専門家(ただし往々にして隣接分野の専門家や当該専門分野の初学者)を含む聴衆への連続講義の場で行う習慣があるようだ。ただし日本の大学にはこれに厳密に相当するものは見当たらない。日本の文系学部・大学院教育においては、秋冬に学外のゲスト講師による集中講義がよく行われるが、水準的にはこれに近い。ただし、より広い聴衆を対象とし、またコースワークとは別枠で、単位認定の対象とならないためレポート等は課されない。また、日本の大学の一般向け講演会は、学問的訓練を受けていない聴衆を前提にしている場合が多いので、これも別物ということになる。学会の基調講演に水準は近いけれども、分野内の了解事項を共有していることは前提されない。(本邦のタレント学者の通例である、新書と一般向け講演の個人営業づくのあり方については触れないことにして‥)

こういった連続講義はいささか厳密性を犠牲にしつつ、たいていある学問の大分野の来し方行く末を考えるような内容になる。聴衆として非専門家を想定しているから、単に重箱の隅をほじくるような話をしても興味を持って聞いてもらえることは期待できないし、限られた時間と講義という形式の中ではとりあげる話題の量は自ずと絞らざるを得ない。入念に準備して書くような浩瀚な学説史や歴史研究と比較できるようなものにはもちろんならない。だが、結果としてその講義は話者の偏見を強く反映し、聴衆にとって刺激的なものになることが多い。

専門家が何を面白いと思っているかという問題意識を整理し、大局観の中に位置づけて話すことは、単に話者の学問観を開陳することにとどまらず、各専門分野の潜在的なスポンサーたる知的公衆、ひいては研究費助成を行う政府、納税者への広報活動としても重要なことである。学問分野ごとに大教授の名を冠した「だれそれ記念レクチャーズ」なるこの種の講義枠が用意され、そのための基金があったりするのはそういう理由による。

そしてこの種の講義では、往々にして講義録が後日出版されるしきたりがある。その際には、会場で他人に指摘された誤りや、自分で発表原稿やアドリブを精査して後で発見した誤りを直し、ちゃんとした脚注をつけ、質疑応答において看過しがたいそぼくなぎもんやレベルの高い指摘があればこれを検討し、当日の講義内容に含まれていないようなテクニカルな付録や文献リストなどもつけたりするのである。こうして最初から書き下ろした本にはない、うっかり言い過ぎた的不用意さやライブ感覚と、学問的な誠実さの両立が図られることになる。名声を博した学者にとって、連続講義は自分の安全地帯を出て、学問の幅を広げるとともに、自らの研鑽を通じて得た見識をひろく世間に還元するよい機会なのである。

私が知りたいと思っているのは、この習慣がいつ始まったのかということ。学問の活動に個人名を冠して栄誉とする慣習は、私の見るところ、ドイツでは希薄で、イギリスでもそれほど一般的ではない一方(イギリスはそのかわりロイヤルソサエティのクリスマス講演があり、ファラデーが有名、日本では医用工学と人口学の研究で知られる藤正巌氏の講演実績あり)フランスやアメリカでは顕著であること、また、アメリカ最古の大学であるハーバード大学はそもそも大学名からして寄付を行った個人名であることから、寄付講座や記念講演といった文化はアメリカ、それもおそらくはハーバード発祥のものであろう、というのが私の作業仮説である。ハーバード哲学科のウィリアム・ジェイムズ記念講演は1930年からで、そのあたりが案外最初かもしれない。

誰か知ってたら教えてください。

追記:コレージュ・ド・フランスとか、IASのアウトリーチ活動の実態くらいは調べたいです。すみません。あと意外な盲点はノーベル賞(1901〜)。賞金と栄誉ばかり目が行きますが、受賞講演こそが本質かも。