歴史修正主義の概念と基本原理


以下では歴史修正主義(historical revisionism)の概念とその基本原理を論じる。概念の解明のためにその歴史的背景についても論じるが、史學の方法論や具體的な史實の認定の是非については議論しない。 *1


21世紀初頭における「歴史修正主義」と言ふ概念は一般的にはホロコースト否定論との關聯で理解されてゐる。 1978年にフランスの文學研究者ロベール・フォリソン(Robert Faurisson)は新聞紙上でナチスによるユダヤホロコーストを否定する主張を行ひ、また翌年資料調査を圖書館等から斷られた事について各國の著名な學識者に反對署名を募り思想信條の自由を訴へた。 署名に応じたひとりに現代の形式的言語學の父で左派政治活動家としても有名なノーム・チョムスキー(Noam Chomsky)がゐた事から一聯の出來事は大きな論議を呼んだ。 同年にフォリソンらの「歴史見直し」活動の國際的據點として「歴史見直し研究所」(The Institute for Historical Review)が設立され、現在に至るまで活動を續けてゐる。
ポストモダン」すなわち後近代といふ單語を一般に流布せしめた哲學者ジャン=フランソワ・リオタール(Jean-Francois Lyotard)は『文の抗争』(Le Différend)でフォリソンを取り上げ、ホロコースト否定論を論じた。 *2科學史家のトマス・クーンやポール・ファイアアーベントの「共軛不可能性」(incommensurability)の概念と、後期ウィトゲンシュタイン哲學の「言語ゲーム」の概念を借りてリオタールは史實をめぐる論爭は相互に異なる前提に立つ共軛不可能な言語ゲーム同士の「文の抗爭」であり調停不能とし、また科學哲學において實驗事實を扱ふ際の標準的な考へ方である操作主義(operationism)*3を意識して、犠牲者と證據の消滅を「測定機械のすべてを破壞してしまつた地震」と表現した。 簡單に言へば相對主義哲學であり、フォリソンの主張に倫理的に同意せず、その論理的妥當性を是認し、その前提を立ち入り不能のものとして事實上容認するものであつた。これらの主張に際して表面的に借用された(當時の)現代哲學の意匠を取り拂へば、リオタールの哲學はカント哲學の「物自體を直觀しえない」との主張のみに據る觀念論哲學である。
ドイツでは戰後民主主義を擁護する立場から哲學者ユルゲン・ハーバーマス(Jurgen Harbermas)がリオタールの哲學を、相互理解不能であることの理解を求める撞着と批判し(同様の批判はアメリカでもリチャード・ローティーらの説に対してしばしばなされている)、また1986年の新聞論説「過ぎ去ろうとしない過去」(Vergangenheit, die nicht vergehen will)*4においてナチズムをスターリニズムと比較してその清算を主張した歴史家エルンスト・ノルテ(Ernst Nolte)とも論爭を行つた。
一般的な讀書人にとつて史學や歴史解釋は本職の歴史家が考へるよりは概して柔軟なものと捉へられ勝ちだが、 これら一連の相對主義的議論はかういつた柔軟な理解に資する出來事であつた。


reviewといふ英語の原義は「見直し」であり、學問の文脈においては書評や査讀など、文脈に応じて他者の主張の論理的瑕疵や妥當性を檢證する作業全般を示すごく一般的な語である。revisionは通例日本語では「改訂」と譯されるreviewの類語であり、見る行爲の結果としての見え方(vision)を變更する原義を持つ。例へば著書の「改訂」とは著者の見解や實質的な主張内容の(増補を含む)變化を著書に反映する行爲であつて、改版に伴ふ單なる誤植の訂正とは本來區別されなければならない。これにイズムのついた「修正主義」は上述のやうな「見直し論」を史學的營爲に含めない批判的立場から用ゐられるが、 1980年代には多くの學問分野において、論文の論題としての「修正主義的見解」(a revisionist view)がことさらに批判的な意図なく「再訪」(revisited)や「再檢討」(reconsideration)といふ傳統的な論題に變はつて一時的に流行した。「再訪」や「再檢討」と「見直し」「修正」の意味合ひの違ひは前者においては(實際にさうするかは別として)史料の閲覽、調査の爲に遠隔地に赴いて見る行爲や史料を机上に置いて檢討する行爲が一応示唆されてゐるのに對し後者が專ら歴史解釋を視覺的に(視野、觀點の違ひとして)ややものぐさに捉へてゐることであり、これは無視出來ない哲學上の差異をもたらす。「歴史修正主義」をホロコースト否定論とその反批判の枠を超えて思想としてある程度の自律性を持つたものと考へる所以である。
「修正主義」といふ概念は元來共産主義、社會民主主義運動の思想對立において生まれた概念であり、暴力革命ではなく社會改良による勞働者階級の解放を指向する「ベルンシュタイン主義」「社會改良主義」ないし「漸進主義」(gradualism)を批判的立場から示す語と考へてよい。これは共産主義の正統派を自認するロシア共産黨指導部からはマルクス資本論の教義の「改訂」(revision)を目論むものと位置づけられて否定されてゐたが、戰後自由主義圏の共産黨が多かれ少なかれソビエトロシア政府との聯繋を弱め社會民主黨として選舉による政權獲得へと動く中で事實上これらの政黨の標準的政治理念として採用された。「修正主義」の觀念はソビエトロシア内部、あるいは中露間の政治鬪爭を通して、自由主義圏においても廣く知られ、流布、一般化されていつた。
ソビエトロシアにおける共産主義は修正主義のやうな「ブルジョア的虚僞意識」を排しそれとは正反對の唯物論的な科學主義に基づいてゐると主張されてゐた。 自由主義圈は繁榮と反共(反全體主義)をこれに對置したが、1970年代末にはブレジネフ體制の下でロシアの經濟的退潮は明らかになつてきた。自由主義圈における全體主義への抑壓(全體主義に對しては思想の自由を制限すること)はこの時代背景の中でしだいに弱まり、フランスやドイツで自國の過去の歴史を相對化する機運が生じたのである。フォリソンやノルテは自説を思想の自由、反集團主義、少數意見の尊重などの論點で補強し(後に日本でも藤岡信勝は「自由主義史觀」を唱へた)これに反對する議論もリオタールにせよハーバーマスにせよ極めて相對主義的、觀念的な自由主義の擁護であり、反全體主義を事實上無化する性質を帶びてゐた。この意味において1978年はまさしく現代歴史修正主義の起源の年であり、自由主義は反論不能のドグマと化したのであつた。
ここで一旦、日本語固有の問題に觸れておかなければならない。現代日本語において「正」「整」「制」の文字は同音であり不用意に混用され、あるいは法律の分野におけるやうに濫用されてゐる(ただし部首から明らかなやうに「整」は「正」の派生語であり現代標準中國語(北京語)でもアクセントの違ひのみで區別される)。たとへば「修正」には曖昧なニュアンスがあり、これは「改正」同樣に、必ずしも「正しい方向への變更」とは捉へられてゐない。日本語の「正」が事實上"view, vision"の譯字として用ゐられてゐるからだが、日本語による思考が一般には強い相對主義的傾向を有することの一つの表れでもある。


あらゆる史實は過去に屬し、現代に生きる我々が得るものは史料であれその評價であれ過去との相關において存在する事象であつて、過去そのものではない。これらの事象すべては現代の解釋者の尺度において評價され理解される。これは事實の社會的構成という皮相の話ではなく、自然法則の必然から成り立つてゐる話である。
唐突かつ奇異の感を免れないが、遠近法によつてこの状況を説明したい。畫家の視點は繪畫の外側にあり、從つて繪畫は常に主觀的視點からの映像であるし、畫家の視野の中にあつてさへ、遠いものは無限遠の地平線へと集約されてしまふ。實際にはあらゆる物理的測定がこの嚴密な意味においては主觀的であることを免れない。*5例へば放射線を幾分か吸收する物體に含まれる特定の放射性物質の量をその放射の測定値で嚴密に定量することは内部吸收の問題から不可能であり、その效果を勘案して測定値を補正することは臆測に屬する。歴史敍述も歴史家そのものの利害關心の客觀的敍述を含み得ないし(主觀的な補正は常に幾分か可能である)、歴史家の着眼點から外れ、あるいは隱れてゐる事象は當然省かれる。
この視野の限定はあらゆる主觀が恣意的であるからではなく、單に限定された時間と空間に屬することによるのである。放射性物質の例であれば、檢體をバラバラにして巨大な測定裝置で檢査すれば精度は上がるだらうし(裝置の巨大化に伴つて別の誤差が生じるかもしれない)、原理上はおそらく放出する熱を長時間かけて測定し、汚染されてゐない同種の物質と比較することによつて内部吸收線量の見積もりの精度を上げることもできる。また、歴史上の決定が密室で行はれたとして、その當事者の證言や傳聞證言が後日現れれば場合によつてはその決定についての定説が覆る。これらの新事實の出現は主觀の恣意性とは何ら關係がない。
現實に對する嚴密に客觀的な視點とは、このやうに後から判明するものも含めた全ての歸結についての評價であり、これはもはや宇宙の生成から消滅に至る全事象を知ることと同義である。
ここから更に次のやうなことが判る。つまり、過去の事象の影響は遠く未來を變え得るし、未來における行動は過去の評價を大きく變化させる。實例を舉げよう:1912年にオーストリアハンガリー帝國領のBerehove*6から移住して米國ニューヨークのブルックリンで小間物屋を營んでゐたハンガリーユダヤ人の夫婦に子供が生まれた。東欧地域で稀でないポグロム(ユダヤ人狩り)を逃れてのことであらう、「樂園追放」を暗示する「ミルトン」*7という名を附けられたその子供は長じてのち經濟學者となり、戰後レーガン政權時代の軍擴路線を代表する反共思想家として名をなした。*8彼の孫の一人は祖父と同じく「フリードマン」の姓を名乘り、Google社の技術者であつたが、退職し無人島を贖入して獨立國の建國を目指すことが近年報じられた。彼の名は「パトリ」すなはち「父なる郷土」を意味する。*9この名を一族の歴史と無關係と考へることは難しいし、名とその企圖との間にも偶然とは言へない關係がある。すなはちこの企圖はおそらく一世紀前のポグロムの一歸結である。
未來における行動の中で直接的に過去を變へる方法として、怨念のやうに意志を個人的關係の中で傳へてゆくことが可能であり、かうした「怨念」は實際に各國のナショナリズムの底を支へてゐる。過去の出來事によつて犠牲となつた人間の遺志の繼承や名譽恢復を何らかの理由で望む者が存在し、政治的影響力を行使し續ける限り、それが「史実」であれ「捏造」であれ過去は現在に、そして未来に影響を及ぼし續け、過ぎ去らうとはしないのである。
ただしかうした影響は總じて年月の經過と共に減少していく。そして國家もまたこれらの影響を小さくし、統治の正統性を安定させるために教育といふ手段を有してゐるのであり、歴史教科書における史觀の見直しが政治的鬪爭の目標となる理由もそこにある。*10

(初出:2013/4 正かなづかひ 理論と實踐 第4號

*1:[補注] 筆者が本稿を執筆した契機の一端として、西岡昌紀による一松信『代数系入門』のAmazonレビューを目にして、所謂史実否定主義(denialism)の精神的背景について再考を迫られたことを記しておきたい。問題のレビューはこちら:http://web.archive.org/web/20150729162931/www.amazon.co.jp/review/R3OQOUOX3VLA43

*2:[補注] 文の抗争 (叢書・ウニベルシタス)

*3:[補注] https://en.wikipedia.org/wiki/Operationalization

*4:[補注] http://www.hum.nagoya-cu.ac.jp/~bessho/Vorlesungen/VorMaterial/Nolte1985Vergangenheit.pdf

*5:[補注] https://en.wikipedia.org/wiki/Measurement_in_quantum_mechanics

*6:[補注] https://en.wikipedia.org/wiki/Berehove

*7:[補注] https://en.wikipedia.org/wiki/Paradise_Lost

*8:[補注] https://en.wikipedia.org/wiki/Milton_Friedman

*9:[補注] https://en.wikipedia.org/wiki/Patri_Friedman

*10:[補注] いうまでもないことだが、2015年現在の日本においては「歴史戦」という概念を掲げ、諸外国における歴史認識の書き換えを政治目標とする勢力が存在する