物理的見地からみた計算機構:計算機構の工学的進化と重力場

人類が電子計算機を作り始めて70年くらいになるが、自然や社会の構造の解明の為にその時代において利用可能な知見、技術を最大限投入して作る計算機構(現代では一般にスーパーコンピューターと呼ばれるもの)の構造にはそれを使って挙動を解明しようとする系の構造(あるいはシミュレーションを行うコードのデータ構造)を何らかの意味で模倣する傾向が僅かにある。電子計算機が登場するまでの物理モデルというのは基本的に解明したい系のミニチュアであったのだからこれは当然で、今も風洞実験という事が行われているように、系のミニチュアを物理的に作ってその挙動を観察することは物理現象へのアプローチとして基本中の基本である。高度に一般的な物理系は場の理論としてモデル化されるから、スーパーコンピューターは計算と記憶を局所化し、それらが相互作用する「場」そのものの模倣をめざすことになる。
最高速の計算機が光速の有限性に起因するメモリ参照の局所性(locality)とそれに伴うメモリの異質性(non-uniformity)という制約をできるかぎり回避して性能を出すために高次元の幾何構造をとるこの傾向は、Cray ResearchのCRAY-1(1976年)の円筒形に並べた椅子のような特徴的な外見に僅かに反映されたが、3次元空間上で見て明らかな変化はその辺りが限界であった。量子色力学人工知能の分野で使うことを想定し、Feynman父子が設計に関与したことで知られる、Thinking MachinesのCM-1(1986年?)においては内部の結線で8乃至12次元超立方体(ハイパーキューブ)を実現した(計画段階においては20次元)。神戸のポートアイランドにある富士通の「京スーパーコンピューター」(2012年)はそのコストをめぐる政治的、技術的議論が喧しかったが、この計算機の中核部分にある相互接続部(インタコネクト)であるTofuインタコネクトは6次元メッシュ/トーラス構造になっていて、物理的な結線における高次元化の趨勢はむしろ逆行していることがわかる。これは基本的にはノード数に対するフルメッシュ結線数の発散がコスト上の制約になることによる。
この高次元化傾向は最終的には無限次元空間である量子場そのものを計算機とするという発想に導く。古典的には総当たり的な方法以外に有効なアプローチが見つかっていないような組み合わせ最適化問題を高速で解くことを期待されて現在開発が進められている量子コンピュータはいわば冷却して閉じ込めた無限次元空間そのものであるともいえる。また将来的には配線や冷却など実装技術の進歩によって、自分自身に働きかける超多次元のベクトル空間のようなものを古典的な電子回路として実現できる日が来るかもしれない。
さて、スーパーコンピューターや人間の脳は場の模倣や確率的最適化の為に電子をあちこちに移動させるが、その現実の時空に対する影響はどういうものになるだろうか。もちろん、脳と電磁場が相互作用するからこそ脳科学でも医学の分野でも動いている脳の中をMRIで見ることができるのだし、携帯電話の電波の脳に対する悪影響も、小さいとはいえ皆無ではないことは共通認識になったといえるだろう。だが、量子情報宇宙論ブラックホールのようなものではない、人間の身の回りにある計算機構が作り出す電磁場が重力場とどのように相互作用するか、いまのところ真剣に検討している人は誰もいないだろう。もちろん、年々厄介になる一方である、集積回路の冷却に関わる技術的問題はある意味ではその重力場をどうキャンセルするかという問題と捉えることもできるだろう。天文学的尺度における重力は冷たく大きく淀んだ時空から熱く小さい時空に対して働く解体的な力(潮汐力)であり、クロックで励起され熱せられた論理素子の中の電子団(すなわち強結合電子系の一例)の状態を安定に保つことにも同じ困難があると考えられるからだ。