科学史の目で教科書を考える

最近仕事で若い同僚にTCP/IPを教えている。

4月1日にいきなり命じられて最初に用意したシラバスは、アウトラインプロセッサ用の構造化テキストだった。これは講義ノートや小テストを付け足され次第に膨れ上がりつつある。
出版に値するかどうかはさておくとして、講義資料が増え、講義内容の欠陥が明らかになるに従って、これら全部を書き直してまとまった分量の「教科書」にすることの必然性を感じる。

自分の趣味はよその学問のサーベイで、自分の学生時代の専攻は知識社会学だから、シラバスが扱うトピックの軽重、位置付けが科学史的な意味で気にかかる。2011年4月に書くTCP/IP講義ノートは、既に終わってしまった(IPv4のインターネットはアドレス枯渇によりこれ以上拡大しようがないから)が末永く必要なトピックを教えるという点で、たとえばマクロ経済学の教科書と線形代数の教科書の中間あたりにあると思う。

たとえば自分が酷く難渋したのはIPv4アドレスの「クラス」の概念の整理だった。「ANDをとる」という言い方の意味がわからなくてもアドレスブロックの分割やマスク長からネットマスクの算出などができなくてはいけない現実がある(そういうぬるい、たぶん正しくない世界で自分は禄を食んできた)。「クラス」概念は公式にはCIDRによる「不連続マスクの禁止、サブネッティング/スーパーネッティングの定義」で滅びたにも関わらず、実際にはプライベートアドレスブロックを割り当てるときに「クラスC何個」という言い方を普通にしている。

シュンペーターが『租税国家の危機』のどこかで、何かの本質は歴史の展開によって明らかになることがある、と書いていたのだが、その伝でいえば、CIDR以降の「クラスC」とはつまりオクテット単位系の事であると整理でき、上位ビットのパターンについての、UTF-8ばりの説明は歴史的臍帯にすぎず、本質的でないことになる。

しかしクラウド時代になってイーサネットスイッチの分野ではストア&フォワードに駆逐されたカットスルーアーキテクチャの低遅延性が"Top of Rack"用途で再評価されているのを見ると、ワード丸ごとを見て評価するという方法論も永遠ではないことがわかる。

これらのこともいずれは全て新しい知識にリプレースされる日がくるが、そのプロセスを知っておいて損はあるまいと思ったので、802.3の話をするときにIEEEの標準化プロセスに言及したりしたのだが、いつか思い出してくれることがあるだろうか。

だがこういう学者ふうの反省とは別にもっとさしせまった反省があって、それは自分がこういう死にかけの知識を半端に教えることで、彼らを「つかいやすくする」=現在の体制の延命に資する、のは彼らに対する犯罪ではないか?ということで、こればかりは誰も答えを持っていない。意欲的な受講者は時代が変われば新しいことを学ぶだろうし、意欲的でない受講者はこの茶番じみた社会に抵抗しているのだ、と考えて、どちらの態度も自分にとっては救いであると思うことにするばかりである。

自分はこの愚かしい社会を作って来た。いまその所行が後世によって評価され始めているのだ。教科書に墨を塗り、漢字制限をした先人たちと違うのは、後世が自分の誤りを速やかに正して/忘れてくれる、という希望を持てないことだ。せめて自分がどこで誤りを犯したかについてだけは自分の答えを押し付けるまい。彼らには彼らの答えがある。

自分はitojun氏を見殺しにしたし、IPv6運用のあるべき姿についても語る権利はない。ICMPv6によるNDひとつとってもその解釈は未来の同業者に委ねるべきだろう。

もしIPv4について知りたい人がいれば私物のスイッチにルータ、Linuxマシン、それにTCP/IP Illustrated vol.1を持って自分はどこにでも教えに行きたい。こんなものは価値のない知識、否、負債の押しつけですらあるのだから、持ち出しで教えるのが本来の姿だろう。