石坂啓『エルフ』覚え書き

20年以上前に読んだ漫画の断片が気になって仕方がないので

エルフ 1 (サンコミックス)

エルフ 1 (サンコミックス)

エルフ 2 (サンコミックス)

エルフ 2 (サンコミックス)

作品の概要と背景

手塚プロダクションのアシスタント/アニメーター出身の漫画家、石坂啓(1956-)*1の初期作品で、1981年から1982年にかけて発表された。
エリート一家の高慢な娘である魔性のヒロインとそれに翻弄される周囲の人物をハードボイルド調で描いた悲劇。
世に知られた著者の左翼思想は本作では狂言回しのフリージャーナリストに体現されている。

間テクスト性

支配階級の頽廃と傲慢、暴力性を描いたものとしては雁屋哲由起賢二の『野望の王国』(1977-1982)と同時期の作品であり、病室に届けられた果物篭に爆薬が仕掛けられているギミックは直接この作品からインスピレーションを受けている可能性がある。
極左からの転向と海外留学や、近親相姦、早熟な少女の自意識といった基本的モチーフに倉橋由美子『聖少女』(1956)からの影響が伺われる。

現実の事象との対応

極左団体を立ち上げた後解散して別名で保守言論グループ「グループー九四〇」の中心人物となる人物は、ブント(日本共産主義者同盟)の創立者の一人で後に転向し、「グループー九八四年」名義での寄稿でも知られる香山健一(1933-1997)をモデルとしていると思われる。
ヒロインの兄は支配階級の血脈に属しその別働隊として行動し、極左を偽装したダミーの運動体を運営したり、爆弾テロを行うが、これはイタリアのボローニャ駅爆破事件(1980)に関与したロッジP2や、三菱重工の御曹司でピース缶爆弾事件(1969-1971)に関与した無政府主義者の牧田吉明(1947-2010)がモデル。また、一連の事件後に留学名目で海外逃避を計画するのは香山と同じくブント指導部から転向し、フルブライト奨学金を得て渡米した青木昌彦(1938-2015)がモデルであろう(青木については『聖少女』のモデルであったともされるためその影響もあるだろう)。
学校の土地売買をめぐる醜聞は、おそらく帝京大学と、読売新聞の大手町国有地払い下げ問題(1966)がモデル。

追記:時代背景についての私見

1980年代初頭の日本の左翼運動界隈の趨勢というものを考える上でこの作品は若干の示唆をあたえるものと思う。作者本人の政治的志向は顕著だが、本作にはおそらく掲載誌の版元、朝日ソノラマの編集者の影響もあるだろう、当時の朝日新聞系列のメディアは基本的に体制内における左派の代弁者であった。
作中の運動体は極左の組織のようでいて実際にはブルジョアの隠れ反動派に牛耳られる体制の別働隊であって、1970年代の反スターリニズムの左翼運動の過激化が結局は民心の離反を招き体制の強化につながったという一種の「砕氷船理論」のような見立てと反省がここにはある。作者はことさらに反スターリニズム(日本共産党への反発)を打ち出さない護憲、市民派の左翼(近年「プロ市民」といわれる層)のはしりであるが、その立場はこういった反省から自覚的に選ばれたものであったと考えるべきだろう。

*1:2015年に木村拓哉主演でドラマ化されてる『アイムホーム』の原作者